履歴書 5 もぬけの殻になった店

隣のCDとレンタル屋さんが抜けた後 業者が来て棚や、残ったレンタルビデオ機材を買い取って行った。そのがらんと空いた店を見て

「もうこんな手がかかってでかい店、やりたくない」と呟いたら その時担当だった本部のHさんが「社長がやらなかったら、どうするんですか」と言われやっと決心をして動き出した。

 

近くにあった子供服のB-KIDSをペナルティを払ってこちらの店に移転 ブックオフを大幅に広げて、大改修をした。

 

都会だったらこんな大きな店はすごく売り上げが上がるけれど田舎のどでかい店はとかく経費がかかる 暖房は電気代がバカみたいに高い(後日手を入れるが) 

 

ともかく、資金繰りは大変だった。最近になってお金が銀行に残るようになってきたけれど。借金まみれではじめた会社は、みんなの給料のお金が足りなくなることがしょっちゅうで、よく僕がお金を貸していた。

 

これも不足額が僕の年収の2倍くらいになるともう大変で、僕のお金じゃ無理なので各店に在庫の管理と適正化はいつも口を酸っぱくして伝えてる。

今では毎週在庫金額の増減をみんなで共有している。

仕事ばかりしていたのではなく、適当に遊んで しっかり仕事をする。

仕事は仕組みを考えて、効率の良い仕事の仕方を考えて行なって、人に伝えれるくらいにして次の人に譲る。 同じ仕事をずっとやらないようにしています。

 

今では、給料も雇用保険関係 各店の経理処理 など全て社員さんの奥様に渡して、僕は銀行の支払いと細かい出納帳くらいで 事務員さんは実質置いておりません。 これくらいの売り上げならできると思います。

 

この頃から盛和塾に入りたいと思っていたのですが、なかなか坂本社長は僕を推薦していただけません。

盛和塾は会員からの推薦がないと入れません。周りのオーナーはずいぶん入っているのに・・・・

よ〜し 推薦されるまで頑張って事業を進めるぞ〜 と思い

余計なことは言わないで、坂本社長から声をかけていただくまでひたすら待ちました。

 

多分1年くらいしたら声をかけていただいて 東京銀座の支部に入会

毎月勉強会があるたびに通いました お知り合いもできて とてもいい経験をしたしました。

 

全国塾長例会はもとよりロサンゼルス ニューヨークなどの勉強会も塾長について回りました。

めちゃくちゃ勉強になったし、今でもお付き合いしているお友達もできました。

 

その時に作ったのが今でも大切に読み合わせている フィロソフィー手帳です。