私は1960年 室蘭東室蘭で新刊本屋のことして生まれた。わがままであまりいい性格ではなかったけれどすくすく育って、高校卒業時 「専門学校でもいけば」と言うおじさんの一言で札幌の経理専門学校へ行った。専門学校も2年になると「この勉強しても僕の役には立たない」と思いそれと色々とあったので室蘭に帰ってきた。
何軒かバイトをして親のやっている新刊本屋が手が足りなくて私が手伝うようになった。
本の配達、集金 学校周り・・・
23歳の頃、両親の新刊屋が独立する話になって(実はうちの店は支店で本店の会長引退で、経営権を買うことになった)それからが大変で、父が借金はバンバンしてくる利益がなかなか出ない、現金預金が少ない。どうにもならなくなって、会計事務所の担当者に呼ばれて「お兄さんがやらなくちゃこの会社なくなるよ」銀行から呼び出しがかかって「経営計画を出してください・・・」
そこから社長業が始まった。25歳くらいかなぁ 最初は全くうまくいかなかった。バイトさん社員さんがいたがその給与までの稼ぎがないので、まず 給与が少なくてここでは働けないと言われた社員さんに辞めてもらい、バイトさんの時間を減らして 朝から閉店までその人たちの分を僕が働いた。
その時思った 「週刊誌の配達だけしてても儲からない よ〜し セールスしよう」 小学館の国語大辞典 9800円 を80冊売った。 当時一冊につき800円くらいが報奨金という形で出版社から出ていた気がする。
この新刊本屋は高校の教科書も扱っていた。そこでたくさん売っている書店に教科書の売り方を教えてもらいに行って、うちでもそれを実践してみる。がなかなか上手くいかない そこを工夫して最終的には 国語、英和、和英、古語、漢和辞典を高校の推薦をいただいて、北海道で一番売った。
売り方は「辞典持ってる?」「中学校の!」「それじゃこの高校は無理だよ、入学までに宿題も出るし学校で推薦している辞典があるから買っていって早めに勉強した方がいいよ。 ついでにガイドも冊数限定であるよ」(使わなかったら持ってきていいから)このトークで北海道一番です。
ちなみに返品してくる生徒さんは何年かに数名 その時は快く返品させていただきました。
跳ねっ返りだったのでよく問屋さんと揉めました。これだけ入金してください 勝手にたくさんいらない本を送ってくるのでこんなに払えません 「なに〜お兄さん覚えてなさいよ・・・」といった支店長は何年か後にはその会社を辞めて書店に拾われましたがいつの間にか消えました。
新刊本屋は儲からないし商品のお金の支払いと、返品などの手間が多すぎて 理不尽だなぁ と思っていた頃 ファミコンのリサイクルの商売を初めて 日曜日も店を開けて休みなしで働くようになりました。
そうしないと生活できなかったのでしょうがない。 その商売も独特の商品展示の仕方で、北海道で一番売る小さな本屋になりました。その展示の仕方が、箱をラッピングしてたくさん展示して(商品は一つしかなくても箱は3個くらい展示する)中身だけで流通してたので、たくさん商品があるように展示した。発売したばかりの商品で「箱ください」と言われると「お客さん、これ新品を箱が欲しいから中古金額で販売してるから ごめんね」と言うと、すごく喜んで帰っていただいてました。
あんなこんなでなんとか商売も軌道に乗って利益も出てくるようになった。
25歳から前年比売り上げ125%を毎年達成していた。
「俺 150円の週間フォーカスを毎週配達して、月末に600円集金に行く。これで60歳過ぎまで生きていけるのだとうか? 」と 新しい商売をなんとなく模索していた。
毎月読んでいた日経トレンディーに載っていた「BOOKOFF」いいじゃん!