自分をどこに置くか? これでいいんだじゃ・・

自分をどこに置くのか。「これくらいでいいんです」って言ってると、いつまでもおんなじ場所にいて、進化しないってことはいけないことだと思いますよ。いつからこんな美味しい物を食べて飲んでいるんだろう・・って考えてしまった。昨日は素晴らしい料理とワンと仲間に囲まれて。

 

思えばまだ背伸びをしている頃、当時の学研の支社長Kさんに誘われて、たくさん学研の商品売ってお食事の会に出席させていただいたり、個人的に誘ってくれたり、30歳の時に社長になった時「お祝いに」とすごいワインと、料理でお祝いしてくれた頃からの始まりだと思う。

 

途中いい気になって「こんな所で食事している自分が・・・」なんて思っていたけれど、いまは自然体で「美味しい料理とワインと素晴らしい仲間」に囲まれている自分が昨日は何故かこそばゆかった。ありがたいってことで、そこを知らない人に伝えてゆく事がいいのかな。

 

これすっごいワインなんですよね こんなすごいワインがみんな持ち寄って仲間の結婚20周年5周年に花を添えて。さて僕は・・・・そういえば・・・・あれーまた取材された・・K奥さまに・・

なかなかうまくゆなかいときってあると思うのですが、いまはできなくても明日はできると思ってちょっと高い次元で判斷を繰り返してゆく事が大事だと思う。「これくらいでいいんだ」なんて思った途端に「ちがうよ ちがうよ」って嫌な事が起こってくる。

 

そして新しい方向に進もうと思ったときに「こっちの方でもいいじゃない」ってお誘いがたくさん来る、それはためされていることでそこをしっかり「ちがうな」と思ったり「断ったり」できないといけにと思う。いままでと違う判断基準を繰り返してゆくと

 

いつのまにか違うステージに上がっていることに気づく、そこへゆくまでちょっとの努力が必要だと思うし、自分がそこにいると仮定して判断基準を設けるといいとおもう。いい気になるのでなくて、謙虚になってちょっとの努力を繰り返すってことかな。

 

あんまりいい事がなくて、ちょっと嫌なことがあるときは「ためされてる」と僕は思って、よっしゃ これを抜けるともっといいことがある。こんなことが起こるのだからここはちょっとした山で、ここを超えれってことだ。「超えたらもっと楽しく幸せになるんだ」と思ってワクワクする!

 

そんな事を繰り返して、何ヶ月かすると「あーあんなコトしてたんだ あんな事言ってたんだ」なんて反省することがある、それを無くしていくことが良いし。そんな時に話していた先輩や知り合いが「あー あんな事まだやってるんだ」なんて思うことがある。

 

みんなに昨日みたいな時間と空間を教えてあげたいなぁ。いい気になっているのでなくて、みんながみんなのために思いとてもいい時間を共有する。よかったですありがとうございました。

今度は空けてもらっている席にもう一人を誘えるように・・・